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【読書】枡野 俊明「悪縁バッサリ!いい縁をつかむ極意」

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この本を読むことになったきっかけですが...

実は私は実親と絶縁状態になって4年経過しようとしています…

法的には絶縁は無理ですが、去年遺留分放棄の手続きをしました…

 

この本は1年前に読んだもの。

気になった部分をメモしていたものが残っていたのでupします...

 

 

 

□「あの人はいい人だな。自分もあんな人になりたいな」

そんな風に思える人のまわりを見てください。そこには同じような「いい人」がたくさん集まっています。

 反対に「嫌な人だな」と思える人の周りには、邪な感情や損得勘定が溢れているものです。

 そして良い人たちの間には良い縁がどんどん膨らみ、良き縁の輪ができあがっていく。その輪の中に邪な気持ちを持った人間は決して入ることはできない。

 それが縁というものの真理である限り、やはり良き縁の輪に入ることです。そしてその輪に入れるだけの器量を身につける努力をすることです。(略)いちばんの方法は「いい人」から学ぶことです。その人の立ち居振る舞いや考え方をよく知り、それを真似てみること。

 

 

□「自分には縁がない」そんな言葉で自分をごまかしたりせず、心を開くことです。固く閉ざされた心には、どんな縁も入り込む隙間はありません。出会いは、あなたの周りにたくさん散らばっています。

 

□愛するが故に自分のことを深く知ってほしいと思う。その気持ちは自然なことでもあるでしょう。そして同じように相手のことも100%わかりたいと思う。相手の心の隅々まで知っていたいと願う。

 こうした気持ちが高まれば高まるほど、いい縁はいつの間にか変容を遂げてしまいます。

 わかってもらえないイライラ。もっとわかりたいという焦り。縁を引き裂こうとする小さな悪魔が心に巣食ってくる。これに対抗するには、自分自身の思いを抑えるしかないのです。

 自分のことを100%わかってほしい。そんなことはどだい無理なことです。第一、自分自身が自分のことを100%わかってもいないはずですから、それを他者に理解させることなど不可能です。

 自分の親でさえ、おそらくすべてをわかってくれていないはず。同じように相手のすべてを知りたいというのも間違いです。相手のことをすべて知りたい。いったい相手の何を知りたいのでしょうか。相手を必要以上に知りたいという気持ちは、結局は自分の気持ちを押しつけたいだけなのだと。

 相手を愛し、その縁を育てていく。そこには時間が必要です。自分の気持ちを一つ一つ伝え、相手の心を少しずつ理解していくこと。焦る必要は何もありません。早急に求めすぎることで、せっかくのご縁が消えてしまうこともあります。

 愛することと求めること。それは恋愛の両輪のようなものです。その二つのバランスを崩さないように心がけることではないでしょうか。

 

□どんな会社いいても、どんな仕事に従事していても、それを素晴らしいものに変えるのは自分自身だということ。いまの仕事と真摯に向き合い、力を尽くし続けること。

 自分に与えられた縁を信じ、与えられた役割を全うすること。その努力を重ねていくうちに、いつの間にか自分の正業がこれだと気づく。正業というものは、その縁を大事にしてきた人にこそ与えられるものです。

 

 縁を結びたくないと思う人と仕事を進める。そこにストレスを感じるのは、自分の感情が入るからです。余計な感情に目を向けず、ただ仕事だけに心を集中させること。それさえできれば、どんな人と組もうが70点の仕事はできるものです。相手との縁を心で拒否してしまうと、仕事は50点になってしまう。これは社会人として失格です。

 わかりあえないとう悩み。実はそのほとんどの原因は、自らが作り出したものなのです。こういう人を見ていると、とにかく自分のことを理解してもらうことだけを考えている。相手の気持ちを無視して、自分だけが主張している。自分から求めるばかりで、相手に意識が向いていません。これは幼児と一緒です。縁を結ぶためには、一方通行では成り立ちません。その縁を大切にしたいと思うなら、まずは相手のことを理解しようと努めること。時運のことをわかってほしいと願うなら、まずは相手のことをわかろうとすること。お互いにその気持ちが持てた時、その縁は良いものとして結ばれるのです。(中略)職場には良縁と悪縁が溢れている。

 

□喜怒哀楽の感情とは、あくまでも一時的な感情に過ぎません。簡単に移ろいでゆく感情をぶつけ合うことは、決して「本音」で話をすることとは違うでしょう。感情と感情がぶつかり合えば、必ず仲違いを起こすことになります。もちろん感情を出してはいけないということではありません。ただ、その感情がすなわち自分の「本音」だと勘違いしないことです。真の「本音」とは、いわば自分の信念のようなものです。自分がどのようにして生きていくのか。何を仕事の道標として生きていくのか。つまりは人生の芯のようなもの。その芯を互いに伝え合うことこそが、良い仕事の縁を持つことなのだと思います。自分自身の芯を見つけるためには、まずは自分自身を知ることです。時には立ち止まり、自分の「本音」はどこにあるのかを考えること。周りに流されることなく、自分自身が歩むべき道を探すこと。

 

□親子やきょうだいとの縁。いわゆる血縁というものは、生まれながらにして結ばれているもの。そしてその縁は生きている限り切れるものではありません。他の縁とは決定的に違うものだといえるでしょう。

 そんな強い血縁であればこそ、私たちは絆を感じることができます。独りではないことを実感することもできます。しかし血縁というのは、一方では自らを縛りつけるものでもあるでしょう。

 親子の縁は切ることができません。どんなにいがみ合ったきょうだいでも、その縁を切ることはとても難しいものです。「骨肉の争い」などという言葉もあるように、強く結ばれた縁であるからこそ、かえって大きな憎しみが生まれることもあります。

 抱えきれないほどの苦しみに襲われても、肉親との縁は切ってはいけないのか。もちろん切れるものではありませんが、切ろうとすることさえいけないことなのか。もしもその縁が、自分の人生を悪しき方向に向かわせるものだとしたら、私は切ってもいいと考えています。

 血縁を切るというのは、大変な勇気がいるものです。切ってしまうことで自分を責める人もいます。あるいは周りから冷たい目で見られることもあるかもしれません。薄情な人間だと。

 しかし、自分の人生を守るためには、キッパリと切ることも大事なことです。時としては仕方の無いこと。自分を責める必要はありません。そこに確固たる理由があるのなら、血縁だというだけでしがみつくことはないのです。

 ただ一つ思うことは、その切り捨てた血縁を「無」しないでほしい。あたかも存在しなかった縁だと思わないでほしいのです。両親がいたからこそ、この世に生まれることができたその縁は絶対「無」にはできないのです。苦しいことでそゆが、それもまた受け止めざるを得ない事実なのです。

 いま生きているのは、両親との縁があったから。一瞬でいいですから、その縁に思いを馳せてほしい。それが自分自身の心を救うことになるのです。

 

□ある年齢になれば、子どもは自立させていかなければなりません。手とり足とり面倒をみるのではなく、大きな方向性さえ示してあげれば、後は本人の自主性を重んじること。親が子どもの人生を大きくコントロールするようなことがあってはいけないと私は思っています。

 最近では、子どもの友人関係にまで目を光らせる親がいます。どんな友だちと付き合っているのか。その子の家庭はどのようなものか。自分の子どもに悪影響を与えることは無いか。心配するあまり、「そんな友だちと付き合うのはやめなさい」などといったりする。

 成長するにつれ、子どもは自分の力で縁を結ぼうとします。お互いに信頼関係を築き、生涯の友を得ることもある。時には騙されたり、裏切られたりすることもあるでしょう。

 世の中は良い縁ばかりでは無い。損得勘定や邪な心が溢れている。その中で自分はどのような縁を結んでいくのか。それは自身の経験でしか身につかないものです。

 誰かとぶつかったり、うまくいかない時に、すぐさま親が手を差し伸べてくれる。そんなことを繰り返していたら、心の免疫力は育っていきません。いまの若者は人間関係が苦手だと言われていますが、その原因は親にあるといってもいい。せっかく子どもが結ぼうとしている縁に横やりを入れ、良い縁だけを結ばせようとする。悪い友達を排除しようとする。

 では「悪い友だち」とはどういう友だちのことでしょうか。子どもにとって「良い縁」とはどのような縁でしょうか。それは「子どもにとって」良いものではなく、「親が考える」ところの良い悪いに過ぎません。親自身が清廉な生き方をしてきたのですか。

 親の人生と子どもの人生は別の人生です。いくら血がつながっているとはいえ、決して同じ人格ではありません。まして20歳を過ぎれば、親が子どもの人生に口出ししてはいけない。さまざまな雑菌に触れながら、子どもたちは心の免疫力を高めていく。その姿をじっと見守ってあげるだけでいのです。

 親としてやれることは、子どもの生活を規則正しい方向に導いてあげることだと私は思っています。(中略)生活のリズムを整えることに心を尽くすこと。

 規則正し生活をしていると、いらぬ欲望が入ってくる余地はありません。立ち居振る舞いの美しい人のもとには、悪い縁が寄ってくることはありません。

 あれこれ子どもの行動に干渉するのではなく、生活を整えてあげること。親がするべきことはそれだけなのです。

 

□閉じられた世界ばかりでなく、広い世界に縁を求めていくこと。その時に何よりも大事なのは、自分自身をよく知ることです。

 自分の生き方の軸になっているものは何か。

 自分が絶対に譲れないものとは何なのか。

 趣味嗜好という表面的なものだけでなく、どんなことに悲しみを覚え、どんなことに喜びを感じるのか。何を持って優しさと呼び、何をもって正しさと呼ぶのか。自分の内面と向き合いながら、自分自身の人生を確かめるという作業。そんな作業を日頃から心掛けることです。

 

□鏡の前に立ち、自分の姿を眺めてみてください。そこにはきっと、亡き父と母の面影があるはずです。たとえこの世にはいなくても、自分自身の中にその面影をみることができる。

 その両親の面影こそが、親子の縁であり、そして両親の魂なのです。大切な人を亡くした時、その人が残してくれた面影を探すことです。その人がくれた思い出を探すことです。それこそが、自分の心の中にある魂なのではないでしょうか。